跳ねる哲学ストーリー

第1話 ほんとの夢に、出会っただけ

世界一になりたいって
いつから思うようになったんだろう?

今回の話は
そんな僕の「夢のはじまり」のこと。

家族との関係、そして
運命みたいな出会いがきっかけでした。

夢は最初から
決められていた

ぼくは、体操オリンピックメダリストの父と
体操経験のある母のもとに生まれました。

物心ついた時から体操をしていて
父が体操のコーチをしている職場である
体操場にいつもいました。

「タンマ」と呼ばれる
すべり止めの粉のにおいをかぐと
今でもぼくは
子どものころの気持ちを思い出します。

「将来の夢は?」と聞かれるたびに
ぼくは迷わず答えていました。

「オリンピック選手」
「世界一!」

それが正しいと思っていたし
そう言うのが当たり前だと思っていました。

小さいころのぼくにとって
夢は“自分で選ぶもの”じゃなくて
“決められていたもの”だった気がします。

そうはいっても自分でも心の奥で
こう思っていたのは確かです。

「20年かかってもいい。
 やりきって、世界一になりたい」って。

まだ小さなぼくの中に
そんな覚悟があった気がします。

無理やり頑張る葛藤

小学校にあがり本格的に体操を始めてから
いろんな気持ちが出てきました。

自分より上手な子がいたり
うまくいかない日が続いたりすると
どんどん自信がなくなっていきました。

「ぼくには無理だ」
「世界一なんてなれない」

そんな言葉が
心の中で何度も何度も
くり返されていきました。

人よりもできることもあったけど
ぼくが見ていたのは
“できないところ”ばかりでした。

目標が大きかったぶん
今の自分とのギャップが苦しかったんです。

母は本気で
ぼくの夢を信じてくれていました。

「世界を目指せる」
「あんたならできる」

——そう言って
応援してくれていたのも分かっていました。

でも当時のぼくには
その想いが“期待”ではなく
“義務”のように”
感じられてしまっていたんです。

「夢を叶えるために
 親やコーチの言うことを聞きなさい」
「そのためにはこうしなさい」

その“正しさ”が
ぼくには少し苦しかった。

本音を言うと、ぼくはだんだん
自分の気持ちを出せなくなっていきました。

そのうちに、心を感じること自体が
むずかしくなっていきました。

笑えない。
話せない。

自分がうれしいのか
悲しいのかもよく分からない。

今は少しずつ話せるようになったけど
当時のぼくは
本当に言葉が出ませんでした。

初めて“自由”を
感じたあの日

そんな中で出会ったのが
トランポリンです。

祖父母の家の近くにあるクラブに
ふと見学に行ったのがきっかけでした。

そこには、すごい選手がいて
目の前で跳んでくれました。

「なんだこれは……!」

体が宙を舞い
ぐるっと回って
ふわっと着地する。

その動きが、自由で、美しくて
かっこよくて、とにかくすごい!!

心をつかまれました。

ぼくも体験させてもらえることになり
補助してもらいながら
いきなり宙返りに挑戦しました。

体操の練習をしていたので
ある程度の基礎はできていたのです。

「うおぉぉぉぉ!!!!」

めちゃくちゃ楽しかった。

その瞬間
ぼくの心は決まっていたんだと思います。

「もっとやりたい!」 
「この競技をやりつくしたい!」

毎日が楽しくて
夢中だった

それからぼくは 
そのトランポリンクラブに入会しました。

そのクラブは茨城。

東京に住んでいた僕にとっては
遠く離れている場所です。

そのため週末だけ茨城に通いました。

そして平日は体操を習っていた隣の体育館で
練習できることになりました。

体育大学の体操場と
トランポリン場でそれぞれ
小学生のぼくは練習していました。

毎日トランポリンを跳んでいた日々です。

とにかく楽しかった。

仲間と笑って、ふざけて
先生に体育館中を追いかけ回され
つかまって怒られて。

練習ももちろん楽しかった。

本気で練習した。

そのときだけは
“自然な自分”でいられた気がしました。

どれだけ練習しても
もっと跳びたくなってくる。

「このまま世界を目指したい」

ぼくの中には
そんな思いがふくらんでいきました。

やっと言えた
やっと自分になれた

でも……この想いを 
家族にはなかなか言えませんでした。

ぼくは体操で世界を目指す
と宣言していたので 
それを変えるのは
よくないことだと思っていました。

「もしトランポリンで世界一になりたい
 って言ったら

 がっかりされるかもしれない……」

そんな気持ちがあって 
何年も本当の気持ちを隠していました。

言い出したキッカケは、引っ越しでした。 
東京から茨城に行くことになったのです。

ぼくは、勇気を出して父に言いました。

「ぼくは、体操じゃなくて
 トランポリンで
 世界一になりたい」

父は少し考えて、こう言いました。

「てつやの夢のオリンピックには
 トランポリンでは
 出られないよ。

 それでもいいの?」

トランポリンはその当時
オリンピックの種目じゃなかったのです。

ぼくは、はっきりと答えました。

「それでもいい。
 “トランポリン”
 世界一を目指したい!」

心臓がバクバクしていました。

怒られるかもしれない。 
がっかりされるかもしれない。

でも父は
こう言ってくれたんです。

「分かった。

 てつやのやりたいことに
 全力で取り組みなさい」

嬉しかった。

ほっとした。

安心した。

自分の気持ちを言えたこと。

そして、それを認めてもらえたこと。

このとき初めて
“自分の夢”を 心の底から堂々と
追えるようになった気がしました。

気づき

あのとき父に
「オリンピックには出られないよ」と言われ
それでもぼくは、迷わず言った。

「それでも
 トランポリンで世界一になりたい!」

そのとき、ようやく気づいたんです。

ぼくが本当にやりたかったのは——

トランポリンを
やり尽くすことだったんだ。

夢の形として
「オリンピック」とか
「金メダル」ってあるけど
それって“本質”じゃなかった。

誰かに認められるためじゃない。

心の奥で「どうしてもやりたい!」
と叫んでたのは

トランポリンに全力で向き合いたい
っていう、純粋な想い。

夢を追うって
誰かの期待に応えることじゃない。

本当の夢は
心が勝手に動く瞬間から始まる。

誰かの正しさでも
昔の自分の宣言でもなく

“いまの自分の感覚”が
「これだ」って言ってるもの。

それが、ぼくにとっての“本物の夢”だった。

そしてもうひとつ、気づいたこと。
夢って、変わってもいいんだ。

「前と言ってたこと違うじゃん」
「そんなのワガママだ」
そう言われるかもしれない。

でも、どんなに過去に覚悟を決めた夢でも
自分の“いまの心の声”に気づいたなら
それが、新しい本当の夢なんだ。

夢の基準は
過去でも、誰かの期待でもない。

“いまの自分の内側”にある。

あなたへのメッセージ

いま追いかけている夢は
心のどこから湧いてきたものですか?

気づいたら
やりたくてたまらなかった」ことですか?

それとも
「こうしなきゃ」から始まったものですか?


もし、まだ夢が見つかっていないなら——

最近、あなたの心が
ふっと動いたのは、どんなときでしたか?

そのとき何に「ワクワク」しましたか?

どんなことで
じんわり「嬉しく」なりましましたか?

その感覚の奥に
あなただけの夢の“種”が
隠れているかもしれません。


答えはきっと
あなたの中にすでにある。

心との対話を続けていきましょう。

焦らずに
あなたのペースで。


自分の心と向き合って
夢を叶えた元トランポリン選手

そとむらてつやより

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